日本人のまじめな話。
実は知らないことばっかりでした。
日本における人類の、確実な最も古い人骨の年代は、2万年前から3万年前の氷河期の時代にさかのぼる。この人々の末裔は、縄文時代の人々に直接連なると考えられているが、縄文時代の間も日本列島外部からの人類の渡来があり、混血があったとも考えられている。
縄文人の人骨から遺伝子を採取し、世界各地の遺伝子と対象比較をするとシベリア北部の先住民と近いことがわかる。氷河期に入るまではシベリア北部の気候は夏場は大型動物、草木が生える程度は温暖であり、氷河期に入った時代からの人の生活の痕跡が見つからないことやシベリア特有の石器である楔形石核などの遺跡がシベリア北部から日本列島にかけて弧を描くように見つかっていることから、シベリア北部が氷河期に入って住むことができなくなったために、シベリア北部から樺太を通り、北海道、本州に来たものと考えられる。
氷河期の時代には北の海は氷で覆われ、樺太、北海道、本州はそれぞれつながっていたために、移動が可能だったということも明らかになっている。それに加え、南海から渡来したオーストロネシア語族、さらに中国の長江下流域から照葉樹林文化を携えて渡来した集団など幾派もの移住が重層して形成されたと考えられる。
日本人の民族としての形成
歴史資料が乏しいためはっきりしたことはいえないが、こうして混血と同化を繰り返しながら遺伝的な同一性が地理的な隔離を主たる要素として形成されていった。また一部はそれと並行して、歴史時代にはいってから、政治的/文化的な統合の過程が進行した。縄文末期・弥生時代から、大陸から多くの人々が日本列島に移住し、日本列島の在来の人々(縄文人)と交わっていったものとされる。日本列島に渡来した人々の主流は、最近の遺伝子研究では北東アジア起源が有力である。縄文人はそのような渡来した人々(弥生人)とともに西日本から拡大していき、大和政権などの社会が出来ていった。最後に大量の渡来があったのは、白村江の戦いにより、日本の同盟国百済から多くの亡命があった。これらはいずれも古代日本における渡来であり、日本民族を形成する一部となっていった
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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